東北大学教育学部で開催された
「過労死等防止啓発授業」に、希望の会の顧問弁護士 土井先生とともに
講師として参加してきました。


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事前打ち合わせなしで望んだので
展開にびっくり!

土井先生の、夫に関するかなり詳細な事例説明のあとで
話をすることになったのです。

わたしが話をするときは
自分がつらいので、
夫の件はポイントしか伝えられないのですが、
先生のリアルで詳しい事実説明を聞き、
本当にひどいことが起ってしまったのだなあ。
と改めて思いました。

東北大学を舞台にそこまで詳細な説明をしてもらえるなんて思いもしなかった。
(わたしが自分で話すのは、きついのではないかと先生は配慮してくださったようです)

自分が言えないことを
まっすぐに話してもらえたことはカタルシスになり
また、それを聞いた担当の臨床心理学部の先生が
夫に対して極めて深い共感を示してくださったことが
ほんとうに、うれしかった。
家に帰って、夫の写真にわかってもらえて、よかったね。
と語りかけました。

30名ほどの学生さんには刺激が強すぎたようで
泣いている人もいました。
でも、ここは臨床心理学教室で
これからみなさんはたくさんの傷ついた人にあっていくでしょうから、
きっとよかったのだと思います。

自分を大事に、
どうかみんな、しあわせに生きてね。

そんな今日は、遠くに住む、かわいい妹から
お誕生日プレゼントが届きました

新しい農業用長靴\(^o^)/

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ちっちゃいメッセージもうれしい♡

わたしはもう決して「おねえちゃま」という年ではなく、
妹も結構な大人だけど、
年が離れているせいで、
オムツを替え、ミルクを飲ませ、毎晩寝かしつけ、
我が子のごとく公園デビューした子なので、
幾つになっても、かわいい・笑。

しかもすごい立派(ノ゚ο゚)ノ ~

来月予定している今年最後の農作業に、
張り切ってはいていこうと思います!!!!!!!!


ありがとおおおおおおおおお♬



by terasumonnmoku | 2016-11-18 21:06 | 過労死 | Comments(0)

わたしは前川珠子と申します。

2012年、当時大学准教授であった夫を

過労自死で亡くしました。

享年48歳。あとには13歳の息子とわたしの2人が残されました。



夫は仙台にある大学の工学部の工学部10年任期の准教授でした。

任期が終わるまであと四年を残し、

イレギュラーな形で、准教授だけの研究室を独立して構えておりました。

任期の終わりを4年後に控え、研究室の存続のための勝負をかけたところで、東日本大震災に被災しました。

膨大な日常業務をこなしながら、

ほぼ一人で、被災した研究室を立て直しました。



亡くなった2012年1月は、過酷な仕事が実り、仮設の研究室が整い、ようやく研究再開のめどが立った時期でした。

突然の解雇予告を受け、過労の局地にあった彼の精神はその直後に壊れました。

一週間後彼は爆発するように自ら命を絶ちました。



仕事が多すぎるんだよ。

回せないんだ。

亡くなる前に言っていた言葉が

今も耳をよぎります。

あの時、どうしてすぐ仕事を辞めてと

言えなかったんだろう。



仕事が命のひとでした。

彼からその愛する仕事が奪われた状態を

わたしはどうしても想像することができなかった。


それでも、死ぬほどつらいとわかっていたら

どんなことでもしたでしょう。


どんな状態でもいい。

わたしは彼に生きていてほしかったのです。


それはいま、ここにいらっしゃるすべての遺族のみなさんも

同じ気持ちではないかと思います。



今更、なにをどうしたところで

わたしたちの大切な家族が帰ってくることはありません。

でも、わたしは思いたい。

わたしたちの家族は、無駄死にではなかったと。

彼らはその生命をかけて

働くことの意味を、日本で生きる、すべてのひとに問うているのだと。

その問いに答えるのは残されたわたしたちの、そして

生きるためにはたらく、すべてのみなさんの責任です。




想像してみてください。

ある日あなたに電話がかかってきて

昨日まで元気だった

あなたの親御さんが、伴侶が、兄弟が、子どもが

突然命を絶った、と知らされるところを。


それがわたしたち遺族に起ったことです。

わたしたちの家族が間に合わなかったように

もしかしたらあなたの大事な人が、

ある日突然死んでしまうかもしれない。

次はあなた自身かもしれない。



いのちのはかなさと尊さ、そのかけがえのなさを

わたしたちは遺族は、嫌というほど思い知りました。

それはどんな犠牲を払っても、大切にする価値があります。




わたしたちは大きな歴史の一部にすぎず、

個々に起きる不幸を止めることはできない。



それでも、過労死はいつか必ずなくすことができる。

とわたしは信じています。




わたしは夫を失いましたが

その死は労働災害として認められました。

働くことで人が命を落とすのは、理不尽なことです。

しかし、現在のように過労死が

そのすべてではないとしても、

労災として救済の対象になることは

自然に得られた制度でも、権利でもありませんでした。




高度成長期の終わりと同時に頻発するようになった過労死を問題視し、

未来のわたしたちのために失われた命の重さを

訴えてくださった遺族の先輩方、

過労死弁護団の弁護士さんをはじめとした沢山の方々のお力で

わたしはいま、過労死遺族として、ここに立っています。




大きな力を持たない一人ひとりの人々が、

共通の思いのもとに集まり、ほぼ四半世紀の歳月をかけて

過労死という概念が育ち、法律がつくられました。

このシンポジウムはその流れの途上にある。

わたしたちはいまここで、新しい歴史を創っているのです。



誰もが健康でしあわせに働くことのできる未来を、

次の世代に残していきましょう。みんなで。




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*ご要望をいただいたので全文アップします。

過労死問題はわたしたち遺族の、というより

今現在生きて働いている、すべてのみなさまの問題です。


いのちはいずれ失われ、現在という時間は二度と返ってこない。

たとえようもなく、かけがえのないもの


過労死を防止するためには、企業側の努力はもとより

まず、おひとりひとりがご自身の生活と人生を、

大切にする意識を持つことが重要です。

そのような意識のもとに起こされた小さな行動が積み重なって

次の世代の、子どもたちの未来に続いていく。

どうかわたしたちの切なる祈りが、みなさまに届きますように。




by terasumonnmoku | 2016-11-11 21:01 | 過労死 | Comments(0)

生きる意味が見つからないなら、自分で創って育てちゃおう!というブログです。やっていることはさまざまですが、常に生きることに向かっています。

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