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お陰様で本日も無事、
東北希望の会の例会がおわりました!

参加者15人。
本日は新しく、若い当事者の
ご家族の方が見えました。

幸いご本人のいのちに別条はなく
ほっと胸をなでおろしつつ
みんなでいろいろなことを、
話し合いました。

きっと大丈夫(^ ^)


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今年の活動は、
年末クリスマス会を残すのみ。

あっという間の年の終わりですね☆

例会の後は職場の悩みをシェアする場所
ワーカフェ代表佐々井さんの
送別会でした。

人材が育っているので
ワーカフェのことは心配してないけど
仲間が遠くなるのは寂しい。



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みんなで書いた寄せ書きを胸に
ご本人も泣いてます!

けれどもきっと、
新しい生活でたくさんのことを学んで
とってもいかした形で
再会できるに違いない(^ ^)

ひとまわり大きくなった佐々井さんに
再び会う日を
みんなで楽しみにしています♪

また会おうね^_−☆

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そうそう。


今日は、また、
先日の過労死防止シンポジウム宮城の
開催にあたって、

わたしが東北大学の総長宛に
お手紙とともに送ったチラシが、
なんと職員の方に配られ、

シンポジウムに参加するように、
という通達が
大学でなされていたということ。

大学の中で
パワハラに対する処分がぐっと重くなり、
学内でパワハラをした。
という、訴えがなされた教授は、
翌年から学生を取れなくなった!

という情報をゲットして、
ふるふると
感動しておりました\(^o^)/



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1人で必死に考え、
1人で勝手に動いてきた。

自分がなにに向かっているのかも、
その行動の結果どうなるのかもわからず
思いついたことをただやってきただけだけど、


無駄ではなかったんだな(T ^ T)

希望の会を作るときも、
過労死防止法ができた時も
そして今回わたしが厚労省の
過労死等防止対策推進協議会委員に
選ばれた時も

逐一大学には連絡し
筋を通してきたつもりですが、

最初はふふん。
と鼻で笑われている感じだったのです。
被害妄想かもしれないけど
たぶん、
ほんとにそうだったんだと思う。

でも、それでも
頑張っていれば
なにかは変わるんだな(^ ^)

1人の力は小さいけど

仲間がいれば
つながりがあれば

なにかは変えていける。


やばい。
泣きそうだ・笑



ワーカフェHPはこちら!




ワーカフェ取材記事






by terasumonnmoku | 2017-12-09 20:03 | 希望の会 | Comments(0)

お盆。

お盆ですね。

今日は夫のゆかりの東北大学の先生が
夫の位牌にごあいさつに来てくださいました。

ひどいアカハラをうけ、大きなダメージを受けて休職。
暖かい<つて>に恵まれ、約一年後別の部署で復職がかない、
紆余曲折の後、藍の会の田中さんの後押しでよい弁護士さんにも出会い、労災認定を獲得。
大学に申請が通り、このたびようやく、休職中に止められた昇給が復活しました。
文章で書くとあっという間ですが、ここに至るまでに三年の月日がかかっています。

どれだけ長かったことでしょう。
家族のひとりがダメージを受けると
全員が重い負荷を背負います。
奥さんもお子さんたちも、毎日が針の筵に座っているようだったことでしょう。

当たり前のことが当たり前になることの難しさを
目の前で見てきました。
どん底を抜け出すことができたのは、先生とご家族の精神力のたまものです。
今、誰一人欠けることなく
みんな元気で笑っている。

それがうれしくて、涙しました。
よかった(´;ω;`)
ほんとうによかった(´;ω;`)

みなさんが帰られた後
夫に「ほんとうによかったね」
と話しかけると
「ありがとう。おまえのおかげだよ」
とびっくりするような答えが返ってきました(ノ゚ο゚)ノ ~

わたしのおかげは一個もありませんが、
頂いたお持たせのお菓子を分けるとき

「(夫は)もう死んでいるので残ったので大丈夫です」

なんて憎まれ口をきいちゃって、ごめんなさいm(_ _)m

そういえば先日、tama's cafe をした時
居間に置いてある仏壇の扱いに悩んだのでした。
知り合って間もない方が大勢見えたので
衝撃的かもしれないと思って。
でもふたを閉める気持ちにも、どこかに移動させる気持ちにもならず
そのままにしていたら、
さわさんはじめ、みんなが夫にご挨拶してくれて
ほんとうにうれしかった。

死んでしまっても、大事な家族。
わたしたちが元気で暮らしていられるのは、夫のおかげです。

お墓参りは今週のはじめ、実家に帰ったときに済ませてしまったので
うちのお盆はもう終わりかな(๑'ᴗ'๑)
お墓のほうも、きっとにぎやかだね。

今日は夫のお母さんともひさびさにお話をしました。
とうもろこしのたっての希望で
彼の高校野球最後の雄姿の写真をポスターにして
それぞれのおじいちゃんおばあちゃんに送ったものが届いたのです。

お元気そうで本当に良かった。
「明るく過ごしていると、みんなが元気になるからね」
と、お母さんは言います。
なかなか言える事じゃない。

わたしの実家のほうには、いまは、妹一家が押し寄せているはず。
おそらく3歳のかわいい甥っ子が、両親を圧倒していることでしょう!

はなれていても
時間や空間を置いて
みんなつながっています~ଘ(੭´ ꒫`)੭

みなさまも、あたたかいお盆でありますように。


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by terasumonnmoku | 2016-08-13 22:04 | 家族 | Comments(0)
東北大薬学部助手過労自死事件の二回目の公判に行ってきました。

今日は、被災者を追い詰めたとされる特任教授と教授、
そして、被災者のお母さまが証人です。

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ガラパゴス島に行ったみたいでした。


被災者は博士課程を途中でやめて助手になったばかり。
当時まだ24歳の若者だったのに、
立て板に水の如く雄弁に語られる言葉の中には
被災者や、ご両親
そして事件に衝撃を受けたであろう学生さんたちの心情をおもんばかる部分が
ひとつもなかった。

人の心を、そして命を犠牲にして得られる<成果>ってなんだろう。
大学は、人を育てるところなのに。

状況証拠しかないので、この裁判がどんな結果に終わるのかはわからない。
けれど、こんなことは長くは続かない。

なぜなら、もう時代は変わっているからです。
わたしたちは変化している。
もう淘汰は始まっている。

終わりつつあるものが
ただ終わっていっているだけなのかも。

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by terasumonnmoku | 2016-06-07 20:59 | 労働問題 | Comments(0)
2007年に起きた東北大薬学部過労自死事件の、裁判の傍聴応援に行ってきました。
はじめての証人喚問(尋問というんでしょうか?)。

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息詰まるような迫力があります。

被災者のかつての先輩や後輩が
原告側、被告側の証人となり、
事件を巡って証言をします。

原告側の証人はもう大学も卒業し
現在はまったく関係のない環境にいらっしゃる方でしたが

被告側の証人は二人とも
現在も大学で働く先生です。

その喚問のほとんどは、事件直後の労災手続きの際に
労基署でつくられた調書と、今回の裁判のために改めて作った
「陳述書」の違いを確認することに費やされました。

よく遺族からの話で、事件の当初は責任を認めていたのに
いざ裁判になると全く違った証言をされた。

という話をそこらじゅうで聞くのですが、目の前でそれを見たのは初めてでした。

かつては断言していたことを
相手も定かではないひとからの伝聞にしたり、事実がなかったことになったり
記憶がなかったり。
事件発生から9年たっているということもあるのでしょうが
ほんとうに苦しそう。

「前川さんの時のように、最初からちゃんと説明してくれていれば、我々も裁判することなんてなかったんですよ。
ほんとうに先生方にはご迷惑おかけしました」
と、原告のお父様がおっしゃっていました。
「自分たちが雇っている人にあんなことをさせるなんて、
そんな人の尊厳を踏みにじるようなことはさせちゃいけない」

ほんとうにそう思います。
あれはつらすぎる。
でも裁判って、そういうものなのでしょう。
みんな生活がある。

裁判の終わりに、勢い余って被告側の皆さんに
あいさつに行ってしまいました。
名と所属を名乗り
「昨年は総長の里見先生にもごあいさつさせていただきました。
過労死をなくす活動をしています。今後ともどうぞよろしくお願いします」

言うだけのことは言いましたが
原告側の支援者が、被告側にあいさつに行くのは
すごくイレギュラーなことだったらしく
相手方の弁護士さんの目つきの鋭さに
足ががくがく震えだし、あいさつに行った瞬間に後悔しました・笑。

馬鹿かもしれない。

でもわたしは本気で、もう誰にも死んでほしくないのです。
被告側のみなさんにも。

死んでほしくないというより、生きてほしい。
胸を張って、自分自身の人生を。
こんなことは悲しすぎるし、もったいなさすぎます。

誰もがみんな、家族にとってはかけがえのない大切な命なのです。

裁判の傍聴に、24歳で亡くなった被災者のお友達の方がたくさん見えていました。
それがとてもうれしかった。

原告側のみなさんに混ぜていただいて
(お父様にごちそうまでしていただいて!)
一緒にお昼ご飯を食べました。
写真はそのメニューです。
裁判所の地下に食堂があるなんて知らなかった!
意外とおいしくてびっくり。

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それにしても裁判は大変です。
でも覚悟を決めたので、ちゃんと最後まで見届けようと思います。
傍聴している間中、夫と亡くなった息子さんがそばにいてくれている気がしました。
二人とも、穏やかな結末を願っているはず。
まず、生きている人間ががんばらないとね(๑'ᴗ'๑)


























by terasumonnmoku | 2016-05-31 21:47 | 労働問題 | Comments(0)
東北大学のご厚意で、取り壊しの決まった旧前川研究室へ
お別れの挨拶に行ってきました。




ひとりでさくっと行って帰ってくるつもりだったのですが、マテリアル開発系の現在の系長さん、工学部?の施設長さん、事務の方はじめ、夫が最もお世話になった共同研究者だった先生や
現在は助教として活躍中の旧前川研究室の学生さんもいらしてくださり
おかげさまで、にぎやかにお別れをすることができました。

取り壊しが始まったとの連絡を最初に頂いたとき、せめて今月末の彼の命日まで残して欲しいと思ったのです。
それで副総長さんに直接お願いしてみましたが、工事の関係でどうしても叶いませんでした。
残念でしたが、でも、そんな遺族の儚い希望をなんとか聞き届けようと、みなさんが動いてくださったことを、心から感謝しております。

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一部始終を夫の母に報告したところ、
「ありがとう」という
返事をもらい、涙しました。
「本人もおかげさまでと、みなさまにお礼を言っていますね」

みなさまのお力で、かけがえのない機会をいただけましたことを
ほんとうにありがたく思っています。




わたしもスーパーマンではないので
実際のご挨拶に至る過程には様々な葛藤が有りました。
そこに行きたいけど、ほんとうは向き合いたくない。ような、アンビバレント(二律背反)な気持ちを抱えたまま行動すると

例えば百合を中心にお願いしますとおまかせで作ってもらった花束が、ピンクと真っ赤と真オレンジのびっくりな花選びになってしまったり
(躊躇した結果つくりなおしてもらいました)、行こうとする道が運悪く工事中だったり、信号無視して事故る寸前で踏みとどまったり、と、いろいろな事が起こるのですが

無事に終わってよかった(´;ω;`)

それは立ち会ってくださったみなさまも
同じだったのではないでしょうか。


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夫の死後、おそらく最も重い仕事の負担をおかけし、そのために申し訳のなさでいっぱいだった先生に
「学生さんたちが優秀だったからだいじょうぶです。前川先生はひとをのこしたよね」
とおっしゃっていただけたこと。
そして、彼が育てた学生さんたちの中に
彼が生きていることを感じられたことが
ほんとうにうれしかった。

言葉にならない思いもたくさんあるけど
ひとつひとつきっちり終わらせて、未来につなげて行こう。

関わってくださったすべてのみなさまに、心からの感謝を捧げます。

写真は、作り直してもらった花束と、研究室に残っていた夫の備品。
何もない室内に、夫の気配がたくさん残っていました。

それは無念さではなく、研究への「愛」でした。






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by terasumonnmoku | 2016-01-15 18:45 | 過労死 | Comments(0)

一周忌に寄せて

夫は所属していた研究室の教授退官に伴い、
平成18年に東北大学工学部の助教から准教授に就任。

分野の異なる新教授から独立し、独自の研究室を構え、
他大学出身の准教授だけの研究室という難しい立場を、
人一倍精力的に働くことで、確かなものにしてきました。

入念な準備で臨む講義に対する評価も高く、平成21年には工学部研究科長賞を受賞。
学生さんたちとのつながりは、卒業後も続いていました。

震災のあった平成23年は、特に意欲に満ちた年であり、
前年度比の13倍の研究資金を獲得。
基準の倍近い数の学生さんを一人で育て、数多くのプロジェクトを抱えた状態で、
東日本大震災に被災。

彼の研究室の入っていた建物は全壊し、数年をかけた億単位のプロジェクトは壊滅。
通常の講義や、度重なる海外出張を含めた進行中の業務を抱えたまま、
独力で復興作業に忙殺される日々が続きました。

亡くなった24年の1月は、失った研究室を再建するまでの、長期にわたる流浪の生活が終わり、プレハブの新しい研究室が整い、
据え付けた実験装置を立ち上げ、研究再開の意欲に燃えていた頃でした。

新年度の実験予定について学生さんたちと熱くミーティングを行ない、家族でにぎやかに外食をした翌日、正式に大学から研究室閉鎖の意向を伝えられ

翌々日に、激烈な不安発作を発症。
それから僅か一週間後、燃え尽きるように亡くなりました。

その後、紆余曲折はありましたが、労働基準監督署の裁定で労災を認められ、
大学側からも労働災害として、ご挨拶を頂くことができました。

研究室の存続は、個人がどうこうできるものではないと思います。
しかし、たとえ東北大学と方針が違っても、どこにいても、立派に評価を受けることのできた人でした。
震災さえなければ、主人がそこまで追いつめられることはなかったのにと、
残念でなりません。

自殺、という方法で亡くなりはしましたが、
彼は誰よりも家族と、仕事を愛しておりました。

愛していたからこそ、自分の限界を超えたことにも気づかず、
働き続けてしまったのだとわたしは思っています。

だからこそ、彼が最後に残した痛みではなく、
本来抱いていた愛を大切にして生きていきたい。

誰よりも懸命に生きた人でした。
彼がもしこの場にいてくれたとしたら、言いたい言葉は謝罪ではなく、
きっと「ありがとう」だったことでしょう。

それは大切なみなさまへの、限りない尊敬と感謝を込めた、
果てしなく重い「ありがとう」であっただろうと思います。

もうこの世にはいない主人に代わって、
ここで、みなさまに感謝の言葉をささげたいと思います。

いままで、ほんとうにありがとうございました。

                 平成25年1月31日  
                                              (内)


























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by terasumonnmoku | 2013-01-31 20:37 | 過労死 | Comments(2)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


by terasumonnmoku