今日は希望の会の遺族仲間と
おいしいものを、たらふく食べに行きました!

山のように食べて
大盛り上がり。

そして明日は、別の遺族の方の裁判の応援。

一つ決めたことがある。
やりたくてやっていることだから
もう言い訳はしない。

逃げない。
そしてどんな時も
自分であることを忘れない。

もう自分を失わない。
わたしはわたしが、しあわせであること
輝いてあることを
自分に許す。
大勢の人と一緒に、今を思いきり生きていくことを
望む未来を一緒に創りだしていくことを
自分に許す。

どれほど孤独だったことだろう。
どれほど不安だったことだろう。
わたしの歩いてきた道には
マニュアルもお手本もひとつもなかった。


世界一しあわせな自死遺族にわたしはなる。

なぜって、過去のわたしが今のわたしを待っているから。

そんな今日、自死遺族支援のためのシンポジウムのパネリストをやってほしいとの依頼があった。
普通に家族が亡くなったことを悲しむ、
世界一しあわせな自死遺族・当事者として
受けてみようと思っている。

わたしはひとから差別や偏見を受けたことがなく、
そういう話はできないと断ったので、それでも相手方が良ければ。

ただし、自分を自分で裁き、夫を救えなかったことで罪悪感に苦しみ
自分を自分で差別したことはある。
それは「世間」でも、「社会」でもなく
「自分」がしたことだ。

わたしはそういう「自分」の「エゴ」から
自分を解放する。
そんなことをしても、夫は喜ばない。
ただの、自己満足だ。

本質の自分を素直に認めて現すこと。
ちっぽけな自分のエゴを笑うこと。

経験は無駄じゃない。
わたしの終わらせたところからはじめて、
もっと先に行く人が必ず現れるはずだから。

今を生きている<過去のわたし>は
この人生でわたしの歩いてきた道をワープして

その先に、きっともっと素晴らしい世界を創っていくに違いない。
たくさんの夢を、光を、希望を手に歩いていくのだ。

誰の経験も
すべて、未来の誰かの力になる。
今あなたが感じている苦しみが
ほかの誰かを救っていく。

そんなふうに響き合いながら
わたしたちは生きていく。

失った大事な家族に、また会いにいく日まで。

てなわけで、写真はホテル・メトロポリタン レストラン・セレニティのランチです。
めちゃうまでした~
混み合うので、出かける際は予約したほうがよいようです(๑'ᴗ'๑)








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by terasumonnmoku | 2016-05-30 22:37 | Comments(0)

今日は東北希望の会の<総会>でした。
何とか27年度も無事終わり、28年度も続けていけそうで
心の底からほっとしました(๑'ᴗ'๑)

企業ー使用者側に働きかけていく。
という方針も明確化したし
新しい副代表、幹事も決まったし
今年のシンポジウムのざっくりしたアウトラインもできて
ほんとうによかった。


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会、特に希望の会のような当事者主体の会を主宰していくというのは
お金の面でも、人間関係においても結構大変です。

今までは、個人的な復讐心が原動力にあったので
そういうことも全く気にならなかったのですが、
昨年夫の働いていた東北大学の総長に面談していただいたことで
怒りに一区切りついたらしく
個人的な恨みがなくなってきたと同時に
大変なことを大変と思う人間らしい気持ちがもどってきました・笑。

それで普通の葛藤を普通に感じるようになり
すっかり、やる気を失っていたのです。

でも、希望の会があってよかったとおっしゃってくださる遺族や労働問題当事者の方の元気なお顔が見られたり、
わたしの盛大な愚痴を聞いてくれる心優しいみなさんがいてくださるおかげで
何とか今年も続けていけそうで
ほんとうにありがたく思いました。

今日はみやぎの萩(自死防止)ネットワークでも一緒の
ヒーラー&セラピスト仲間のことにちゃんも参加してくれました。
自死遺族でかつセラピストという共通点があることにちゃんに
セラピストとして、自分に力がついて来れば来るほど
夫を救えなかったという無念の気持ちがこみ上げる
というわたしの悶々とした気持ちを聞いてもらって
とてもうれしかった。

あくまでもわたし個人の問題で、
話せたからといって、なにがどうなるわけでもないのですが
そう思ってしまうのは人間としては当然のことだろうし、
それが言えて、聞いてもらえるって、すごいことだな。って思います(๑'ᴗ'๑)

そしてどんなに盛大に愚痴を言っていても
どうしようもないことをやっていても、
自分の魂はどんな時もやっぱりきらきらとご機嫌に輝いていて
そういうことにも、なんだか笑えてくるのでした。

人間って、おかしい。(自分だけど)

よろよろしながら、頑張らない方向で
すこしてもみんなが、そしてとうもろこしと自分自身が楽しく生きて行ける社会づくりを目指し
進んでいきたいと思います。
なにかと至らないことばかりですが
今年度もまた一年、東北希望の会をあたたかく見守っていただければ幸いです。

写真は総会でいただいた社労士の先生の差し入れ
<ほっともっと>のお弁当です。
おいしかった♡

みなさま、今日も本当にありがとうございました!







by terasumonnmoku | 2016-05-14 20:56 | 希望の会 | Comments(0)

子育ての悩み。

ネットを見ていて「子育ての悩み」という項目をみつけ
何か不思議なものを見ているような気持になりました(๑'ᴗ'๑)

確かわたしにも深刻なやつがあったはずなのに、
これはいったいどうしたことだろう?

4年前夫が自死した直後の1年。
荒れる息子を心配し、いろんなひとを突撃しては
「親としてどうあればいいのか?」を尋ね歩いていたのが嘘みたい。

別に問題が解決したわけではありません。
父親の自死については
彼は一生かけて、取り組んでいくでしょう。
何かの折には、ディープな問題として浮上することもあるに違いない。

でも、いま、わたしは息子が
必要な時には自分の問題に向き合い、それすらも人生の糧として
そのたびにほんとうのお父さんに出会っていくことを信じている。
なぜなら、彼のお父さんは心の底から息子である彼を
愛していたから。
死の状況がどうあろうと
それがちゃんと、彼の中に残っているから。

東日本大震災で自分の職場も全壊し、のちに死んでしまうほどの致命的なダメージを負いながら、
安全靴を買い、息子とともに石巻や気仙沼にバイクで出かけてはボランティアをし、
野球少年団の手伝いをし、
売れっ子アイドル歌手並みの激務の中で寸暇を縫って、
エアロビや第九の合唱に熱中しながら駄洒落を連発していた父親を
愚かだという人もいるかもしれない。
見ていることしかできなかった自分に腹は立つけど、
でもそのわけのわからない不器用な生きざまが、息子の中にも、わたしのなかにも確かに息づいている。
かけがえのないものとして。

で、現在の息子とうもろこし。
成績は相変わらず超低空飛行で、通知表はアヒルの大合唱(笑)だけど
過労死問題にかかわっていると
いい大学、いい会社に入ればだいじょうぶなんて到底思えない。
なので、そこは全然気にならないのです。

問題はわたし自身が日々何を思い、
自分の人生をどう生きるか。ということと、
そこに向き合っているわたしが、彼を信頼し、心から大切に思っていることを
ちゃんと伝えていくこと。
自立してゆく彼を、きちんと手放していくこと。

ほとんど自分の問題しかありません・笑。

<子育ての悩み>って、結局親の自立の問題なんじゃないだろうか。
わたしは母としての自分に自信がなかったので
(劣等感の塊でした・笑。コミュ障だったし!今となっては信じられない(ノ゚ο゚)ノ ~)
親があっても子は育つ。と、彼が小さいころから
呪文のように唱えていましたが、ほんとにそうだと思う。
こどものちからは、すごい。

今子育てに悩んでいる人も、過ぎてしまえば必ずよい思い出に変わります。
自分も子ども、信じて大丈夫(๑'ᴗ'๑)
だって、あなたの子どもだもの!

そんなこんなで、
今夜はシチューだよ!と息子を送り出したある日

息子とうもろこしからこんなラインが届きました。
なごむなあ!

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by terasumonnmoku | 2016-04-28 21:29 | 家族 | Comments(0)

亡くなったひとの涙。

先週土曜、6時間にわたる長すぎる補習のあとで
突如吐いて38度6分の熱を出した、息子とうもろこし。

インフルエンザ?
と思いきや、日曜に熱は下がり
月曜には止めるのも聞かず、野球の試合に行ってしまいました(`ε´)

そして、「むちゃなことをすると、かえって元気になる!」
と豪語した翌朝、

花粉症の鼻づまりでほとんど眠れなかったとかで
体調悪いアピールを繰り返していましたが、
横目で、さっさとお弁当を作るわたしを恨めしそうに見ながら
「休みたい~でも、野球行っちゃったからなあ~」
とぼやきながら学校へ・笑。

週の半ばになり、ようやく復活。今朝学校へ行きしに

「野球やっててほんとによかった。野球少年団はもっと早く入りたかったし、
野球ができるのも、あと4か月しかないけど」という。

「そうだね。野球ができたことは、君の財産だもんね」

「でも昨日はつらかったな。キャッチャーだし出ずっぱりだから」

「行かなきゃいいのに行くんだもの。男の子って、そういうおバカなところがあるよね。
でも、そんなとこが、かっこよかったりもするんだよな。
たぶん、生物学的な違いなんだと思うよ。そんなことしてたら、子供は育てられない」

「そうだよね」

「少年野球ができたのは、父さんのおかげだよ。
やってよかったし、そのおかげで母さんも成長できたと思うけど
父さんがやるって言わなければ、絶対に参加しなかった。
父さんに感謝だよ」

「うん。」

ひさしぶりにお父さんの話題を振って
拒絶反応が出るかなと思ったけど、今朝はだいじょうぶでした。
心の底からほっとしました(๑'ᴗ'๑)

ここ半年くらい、とうもろこしはお父さんの話題をふると本当にナーバスになり
いつも薄氷を踏む感じだったのです。
つらくてお墓参りにも行けず、線香も上げられず、ことあるごとに感情が乱れます。
でも、家の中で夫の話題をタブーにはしたくなくて、そっと会話に忍び込ませては
撤退することの繰り返し。

息子を見送って、ふと気づくと
夫が傍らで泣いていました。
朝の掃除が終わっても、
午後になり、助成金の書類の修正にとりかかっても、ずっと泣き続けていたのです。

幽体でも、涙は出るんだな。
自分のせいで息子が苦しんでいるのを見るのは
つらいよね。

泣けて良かったね。父さん。



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by terasumonnmoku | 2016-03-24 20:26 | 家族 | Comments(0)

セラピスト仲間(先生は違いますが)で、みやぎの萩ネットワーク仲間、
高校生の子どものお母さんで自死遺族同士という、様々な共通点を持つ
琴似ちゃんとデートしてきました。

(琴似ちゃんはお嬢さんを自死で亡くされた後に生き方を変え、スピリチュアルに目覚めそうなので
夫が亡くなった当時セラピストになって7年が経ち、既にたくさんの相談を受けていた
わたしとは立場が違っています。本人としては痛いところですが、そこは厳粛に受け止めたいと思っています。
その問題に対する現在の考え方については、また日を改めて。
琴似ちゃんのブログはこちら
http://ameblo.jp/blue-ocean5/entry-11775215984.html
もしも、自死遺族ということでこのブログにたどり着いた方がいらっしゃいましたら、
ぜひ遊びに行ってみてください!きっとなにかのヒントになると思います(๑'ᴗ'๑))

いろんな方向で琴似ちゃんと盛り上がっているうちに、
二人とも文章を書くのが好き、
という共通点まで発覚!
わたしは、以前物書きを目指していたことがあって
作品製造100本化計画を遂行していたのです。

それは、本気で書いたシナリオ、童話、小説などを
この人生が終わるまでに100個書く。
書いたものはかならず何かに投稿する。
というもので、
確か38本書いたところで、夫の変調があり、それから本を読むことも
まともな作品を書く事も出来なくなり、途中で頓挫してしていたのですが
数年ぶりに書きたい主題に出会い
そろそろ復活しようと思っていたところだったのでした。
シナリオで、ある賞の最終選考に残ったという連絡を事務局からもらった時
夫がとても喜んでくれて、
家の神棚に一緒にお参りをさせられたのが忘れられない。
また書き始めることを、きっと応援してくれるに違いない。
(でも選考結果は落選でしたーとほほ)


なんでも、仲間が居るというのはいいですね。

ライターの友達もいるし、市民ライター仲間もいるのですが
創作ってそれとはまた違っています。
誰にも読んでもらえないかもしれないものを、時間と気力を費やして人知れず作り続ける、
しかも一人で、というのは、案外しんどいものなので
一緒に向かう仲間が居るというのは心強いです!
⇒琴似ちゃんに、やる。とも言われていないのに、勝手にその気になっている( ̄ー ̄)

写真は2人で行ったSAWA'S CAFE オーガニックランチです。
不定期開催のおぐら亭ランチ。
なんと、今月の25,26で終わってしまうそうなので
まだの方はぜひ~!



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by terasumonnmoku | 2016-02-19 19:45 | SAWA'S CAFE | Comments(0)

自死遺族として生きる

夏ごろより、自死をテーマにしている社会学の研究者の方から
夫の件に関して何度かインタビューを受けていたが、
それをテープ起こししたものが原稿になり、
先日それを校正する機会があった。
(自死遺族として生きる。というのは、その冊子のタイトル)

まったく事情が分からない方からのインタビューということで
説明不足な部分については、捕捉のため何度も同じことを聞かれている。
そのたびに、回答のトーンが変わり
自分が、段々冷静になっていくさまが、そのまま表れている。

同じ話でも、外部に情報をアウトプットするときと、自分にインプットするときとでは、
刺戟される脳の部位が違うらしい。
自分が話した自分の体験で、
話しをすることの精神的負担は、さほどでもなかったのに、
最初にその原稿を読んだときは
衝撃のあまり、立ち直ることができなかった。

めげずに何度も読み返しているうちにだんだん平気になり、
7回読み返したくらいで校正をしたところ
おもしろいことに気づいた。

わたしは、どちらかというと、
公の場ではさほど無駄なく意味の通ることを言うほうだと思うが
感情の整理がついてない部分に来ると
論理が見事に破綻する。
混乱し、言っていることがよくわからない。
(もちろん本人なので、その時言った内容は覚えているし、言った時はおかしいとは思っていなかった。なのに、字面で読むと、まったくわからない)
全部ではなく、整理のついてないところだけ、そういうふうになる。

夫のことがあっても、変わらないペースで継続的にこのブログは書いているが、
書いた文章では、こういうことは起こらない。

インタビューを、ちょっと距離を置いて読んでみると、
ここでこのくらいこの人(自分だけど)
は怒っているとか
感情が混乱しているとか、拒絶しているとか、ひとのせいにしているとか、
ちょっとした言いよどみや、無意味な前置きの中にいろんなものが読み取れて、
いやになるほど考えていることや、出ているエネルギーの質がよくわかる。
ピアノでフレーズが弾けるくらいに。

インタビューしてくれた研究者の方に
ここでむかついている、というような感情の動きが、
一見意味のない「あのう」など言葉のなかに、
よく出てますよね。
とその個所を指さして説明すると、そうなんですか?といって、
(ここで怒っている)と言うメモを書かれたので
どうやらほかのひとには、わからないらしい。

内容的には、いい人そうなことを言っているので
わからないほうが普通なのかもしれない。
自分以外の人に、わざわざ説明するのも、
さほど気持ちのいいものではないので
その話はそこで終わった。
が、実のところ今回のことだけでなく
どうでもいい些細な部分の詳細にわたって意地悪く、残酷に、
常日頃ほかの人のことも見ている自分に改めて気づき、
うんざりした。

その「混乱」について考えてみた。

23日のフォーラムで、自死についての差別と偏見というタイトルで講演してくださった
弁護士の先生が当日のお話の中で、
自死行為の最終段階では、その人の人格に「解離状態」が発生している。
解離がひどいほど、自傷が深刻である。と言う説を教えてくださったが、

なにか受け入れ難い感情の混乱が発生している時
ひとの頭の中では、自死を決行する人と同じような
「解離」(大津スクールふうにいうと「分離」)現象が
おきているのではないだろうか。

想像するに、それは自然な防衛本能で
大きすぎる葛藤を一度自分から引き離し、他者に投影することによって、
日常のもめごとや学びの中で、ゆっくりと自己の再統合を図る。

その葛藤を引き起こすきっかけとなったダメージによって、
損傷を受けたアイデンティティを
再構成するために必要な、
時間稼ぎのようなものなのかもしれない。

ただ、わたくしごとに限らず、統合されてない問題に関する本人の発言は、
ほかの人にはほとんど伝わらない。
自分に明確な意見や意志があるときならいざ知らず、
こんな風に自らが混乱している状況にあると、
場合によっては人に大きく迷惑をかけてしまう。

今回、メディアの報道の内容が、
取材する人の先入観によって、壮絶にまちまちな感じになってしまったのは
自死と言うテーマの微妙さもあるとしても、
わたしのその辺のいけてなさに原因があったのではないかと思う。

なんだか、火打ち石で研磨されているような気持ちのする今日この頃。
日本刀になったみたい。疲れるなあ。とほほ(T_T)



by terasumonnmoku | 2014-10-04 18:39 | Comments(1)

一周忌に寄せて

夫は所属していた研究室の教授退官に伴い、
平成18年に東北大学工学部の助教から准教授に就任。

分野の異なる新教授から独立し、独自の研究室を構え、
他大学出身の准教授だけの研究室という難しい立場を、
人一倍精力的に働くことで、確かなものにしてきました。

入念な準備で臨む講義に対する評価も高く、平成21年には工学部研究科長賞を受賞。
学生さんたちとのつながりは、卒業後も続いていました。

震災のあった平成23年は、特に意欲に満ちた年であり、
前年度比の13倍の研究資金を獲得。
基準の倍近い数の学生さんを一人で育て、数多くのプロジェクトを抱えた状態で、
東日本大震災に被災。

彼の研究室の入っていた建物は全壊し、数年をかけた億単位のプロジェクトは壊滅。
通常の講義や、度重なる海外出張を含めた進行中の業務を抱えたまま、
独力で復興作業に忙殺される日々が続きました。

亡くなった24年の1月は、失った研究室を再建するまでの、長期にわたる流浪の生活が終わり、プレハブの新しい研究室が整い、
据え付けた実験装置を立ち上げ、研究再開の意欲に燃えていた頃でした。

新年度の実験予定について学生さんたちと熱くミーティングを行ない、家族でにぎやかに外食をした翌日、正式に大学から研究室閉鎖の意向を伝えられ

翌々日に、激烈な不安発作を発症。
それから僅か一週間後、燃え尽きるように亡くなりました。

その後、紆余曲折はありましたが、労働基準監督署の裁定で労災を認められ、
大学側からも労働災害として、ご挨拶を頂くことができました。

研究室の存続は、個人がどうこうできるものではないと思います。
しかし、たとえ東北大学と方針が違っても、どこにいても、立派に評価を受けることのできた人でした。
震災さえなければ、主人がそこまで追いつめられることはなかったのにと、
残念でなりません。

自殺、という方法で亡くなりはしましたが、
彼は誰よりも家族と、仕事を愛しておりました。

愛していたからこそ、自分の限界を超えたことにも気づかず、
働き続けてしまったのだとわたしは思っています。

だからこそ、彼が最後に残した痛みではなく、
本来抱いていた愛を大切にして生きていきたい。

誰よりも懸命に生きた人でした。
彼がもしこの場にいてくれたとしたら、言いたい言葉は謝罪ではなく、
きっと「ありがとう」だったことでしょう。

それは大切なみなさまへの、限りない尊敬と感謝を込めた、
果てしなく重い「ありがとう」であっただろうと思います。

もうこの世にはいない主人に代わって、
ここで、みなさまに感謝の言葉をささげたいと思います。

いままで、ほんとうにありがとうございました。

                 平成25年1月31日  
                                              (内)


























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by terasumonnmoku | 2013-01-31 20:37 | 家族 | Comments(2)