2010年 05月 06日
GW
ぱんぱかぱあ~ん!!!!!\(^o^)/!!!!!!!
今年の連休は、毎朝超早起きで(4時とか)、とうもろこしの野球のお付きあい。
終わったときはとうもろこし父と、ガッツポーズをしてしまった。
連休が終わって、こんなにうれしかったことはありません(;。;)
小学生のチームだから、なんとなく練習して、健康で楽しければいいと思ってたけど
とうもろしがたまたまそのチームを選んで入ったということは、中途半端ではなく、真剣にがんばるということなんだ。
ということがわかってしまいました(ToT)/~~~
なにかを思い切りやって、先に進むというのが重要だと思う。
思い切りやるということが大切で、結果は関係ないんだと思う。
今週末は東京から、とうもろこしの父方の祖父母、きんちゃんのんちゃんが来てくれるのです。
週末も5時集合だけど、おばあちゃんたちも体育会系なので、
一緒に4時起きで野球に行くそうなのです。
のんちゃん、きんちゃん。恐るべし。(しかもとうもろこしは補欠。)
わたしの両親は文系だから、絶対そんなことはしない。
両方とも同じ系だったら、さぞかしボリューミイなのだろうけど、
片方がひんやりクールなところが、またいい(笑)
今度また一緒に温泉行こうね☆♪まあちゃん!
(でも直接話さないで、ブログ読むって変じゃない?)
今回は三日に特別エナジーがあり、いつものみんな、
そして遠方のイギリスのさとりちゃんや、まきろん、ろぶちゃんに会いました!
それぞれに胸がいっぱい(* ̄ー ̄*)
大津さんはまたエネルギー変わってるし。
終わった後、ハートがほかほかと暖かくて、幸せで。
例えば人間が光とまったく同じものだったり、
光が意志をもっていたり(持っているって言い方も三次元っぽいなあ!)、
学ぶということは光合成に似ていたり、
そういうのはわたしにとっては当たり前のことだけど、
形を持って、普通に生活することは当たり前じゃない。
汚れを作ることと、物事を識別することが、HOW TO としては同じであって
そこに善悪の価値判断を入れるか入れないかの違いに過ぎない。
というところはわかった。
それでも、識別するつもりで汚れ(それが間違っているという意味づけをすることによって対象についてネガティブなエネルギーを自分の中に)作っていたり、というのは、まだある気がするなー。
形のある世界は、ある意味ない世界よりずっと豊かだから、
識別も(こつがわかるまでは)いっぱい必要みたい。
ところで、昨日、ユーチューブでかねてより、わたくしのお気に入りの2ちゃんねる元管理人ひろゆき氏と、勝間和代さんの討論番組というのを見てしまいました!
議題はネットに匿名性は必要か!
ということらしかったけれども、最初から書き込みには実名の記入が必要とういう勝間さんと、必要な場合はアドレスを警察などに開示しているので、ネットには表面に見られるほどの匿名性はない。と主張するひろゆき氏との議論は全然かみ合わず、その様子がとてもおもしろかった。
ひろゆきさんは、勝間さんの質問にちゃんと答えているのに、その場では勝間さんの耳にまったく入らない。
なぜかというと、そこに勝間さんが見出しているほどの重要性を感じていない(というか、その問題に対して感情的な粘着性ーこだわりーがない)からだと思う。
(しかし2ちゃんねるの管理人として、ひろゆきさんは、匿名性をめぐる情報開示を含むいろいろな案件についての裁判をたくさん抱えており、いずれも出廷せずぞくぞくと敗訴することを選択し、賠償金の支払い命令を受けているが、基本払わないというスタンスを貫いている。
情報開示の問題については、更に問題が増大する可能性があるため、相当程度つっこんで考えた経緯があり、すでに自分の中で結論が出ているということだろう。)
同じ言葉で同じテーマについて話しているのに、その言葉が欲しい側の人間が、
なぜか目の前にある答えを拾えない。というのは、この場面に限らずよくあることだ。
ひろゆきさんはすでにその問いには答えて、先に行っているけど
勝間さんは彼が段階を踏んで話を進めていることがわからず、
議論が誠意なく摩り替えられているように感じている。
(勝間さんは後日自分のブログで、ひろゆきさんの回答を拾いなおし、自分の印象が誤りであって、期待していた効果を得るためには、自分がそこで回答を反復再開示する必要があったという反省と、今後の抱負を述べていたので、さすがと思いました。映像を見たのかもしれないね。今回は映像という復習の手段があるから、良かったけれども、みんながみんなちゃんとそれを認められるかというとなかなか難しいと思うので、勝間さんはやっぱりすばらしいと思う。)
更なる幸福の獲得に邁進する勝間さんに対し、水と安全があればもう十分的な発言をするひろゆきさん。
幸福度を聞かれ、10段階で9と答える勝間さんと、10といっちゃうひろゆきさん。
脱資本主義というものがあるとしたら、激しくそこを希求している勝間さんより、どちらかというとひろゆきさんの感覚のほうにその萌芽はあるんだろうなあ。
本人はそういうのは求めていない気がするけど。
かみ合わない議論がはじまったら、説得は意味を成さないので、
これが答えだ。というものであり続けるのが一番いい方法なのでしょう。と思う今日この頃です。
学べるようにそんなふうになっているんだろうね。きっと。