2012年 07月 12日
宇宙語と、たくさんの夢
わたしたち家族を含め、こんなにもたくさんのみなさんに愛されていた夫が、なぜ一人で死ななければならなかったのか。
どうしても納得いかなくて、考えながらとうもろこしと乗った電車の中で、ホームレスと思しき爆睡中の女性を見かけた。
60歳くらいだろうか。すだれのように地肌が透けて見える頭髪。精一杯おしゃれしたらしいグレーの上着にちぐはぐなズボン。ボタンが取れたセーターの胸元から、なにもつけていない胸が見える。
混んだ車内で、異空間のようにぽっかりとそこだけ隙間が空いていて、疲れているはずなのにどうしても隣に座れない。
同じ空気を吸っているのに、助けるどころか隣に座ることもできないなんて。
母さんは自分が、とてもショックだった。
と、電車を降りて、とうもろこしに話しをした。
「せめて、ゆっくり眠れるといいな。」
「そうだね。」
「いい夢を見ているといいけど。」
「夢、見ないほうがいいよ。
おれも、父さんと楽しく過ごして、朝起きたらそれが夢で、すげー空しかったことがあったから。
ただぐっすり眠れるといい。」
眠りながら見る夢と、起きて見る夢について考える。
荘子に言わせなくても、この現実という世界は、一人一人の独立した夢のよう。
そこでチャンネルが切り替わるように
(怪我などの目に見えるような問題があれば別だが)
どんなに意欲や気持ちがあったとしても、本人が助けを求めない限り、結局どうすることもできないんだ。と思った。
本人が具体的に、自分の問題を説明して、助力を必要とするといってくれない限り
ほんとうの意味で誰かの力になることは難しい。
でも、具体的に問題を説明するためには、自身の状況に向き合わなければならないし、
向き合って人にそれを伝えるためには、問題を持っている自分に、肯定的な感覚を持っていなければ、難しいだろう。
わたしたちはどこかで、自分が自分の思うような人であってほしいと願っている。
そして、ほんとうはそうじゃないんじゃないかと、恐れていたりする。
人から見た価値、学歴や、容姿や、経済状態などのそれまで自分を支えてくれた前提がなくなっても、自分が倒れずに立っているとは考えにくいのかもしれない。
食べて寝て起きて、生まれて死ぬ。
というところだけが一緒で、ほかはみんな違う世界を生きていて、
みんなどこかで幸せを希求しているはずなのに、こんなにも齟齬が起こるのは、どうしてなんだろう。
もしかしてそれは、それだけ、世界が豊かだ。ということなのかもしれないな。
豊かさって、いろんな側面があるのかもしれない。
普通に考えたら愉快ではない側面が。
翌日、完熟マンゴーさんのお誘いを受けて
宇宙語の響ちゃん、に会いに行った。
そこで語られた響ちゃんの宇宙語のチャネリングでわたしが受信したのは
「虹の8つ目の色がある。その使い方を練習しなさい。」という波動だった。
「色に惑わされている間は、色を超えられない。」
(今書いていてわかったが、色即是空の色が物質という意味なのは、そういうことだったんだっw( ̄o ̄)w)
ここでいう虹の色、とは光の色のことである。
オーラだったり、あるいは愛のピンクのエネルギーだったり、浄化の青いエネルギーだったり、そういうい意味の色である。
波動を落とした光が物質を作るが、物質になる前の光は7つの光に分かれている。8つ目の光とは、たぶん大津先生の言う光を超えた光。の波動の低いものなんだろう。
光を超えた光ーまあ俗にいう愛のエネルギーといってもいいがーにも、どうやら段階があるらしい。
宇宙語で使い方を伝授されたのは、色になる寸前の光。
学びというのは、問題に次元を超える解を見出すためにすることだが、次元を超えるためには8つ目の光が必要だ。
8っ目の光で物事を見た時、エゴとエゴの摩擦として起こる齟齬は輪郭を失い、問題に調和のとれた新たな形ー解ーが与えられる。
ぬーん( ̄⊆ ̄#)
家に帰って、とうもろこしに
「昔の人は、大切な人が自分を思ってくれるとき、そのひとが自分の夢に現れる。と思っていたんだって。
百人一首に、そういう歌が残っているの。
とうもろこしの夢に父さんが出てきたのは、父さんがどうしてもとうもろこしに会いたくて、
ものすごくがんばって表れてくれたんだ。っていうふうに、考えることはできない?」
と話した。
彼は少し黙った後、
「父さんはどこにいるの?」
と、聞き返した。
「とうもろこしの心の中にいるよ。」
「父さん、この(新しい)家にいるの?」
「いるよ。
とうもろこしのいるところには、どこにでもいる。」
「・・・・・」
「ずっととうもろこしを、見てるんだよ。
だから母さんも、とうもろこしも、だいじょうぶなんだよ。」
「見張られてるみたいで、やだなー」
そういって息子はうれしそうに笑うと、久々に父にお線香をあげに行った。