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artandlove☆もんもく日記2

その後の長い経過、および結果報告。

母が倒れて一週間になりました。

心不全で、一時は危ないところだったのですが、幸い命を取り留め、現在入院中です。

それでとうもろこしともども動揺し、徳ちゃんとくみちゃんに遠隔ヒーリングをお願いし、
大津先生にまで電話してしまった。
(大変な時にばかり連絡しちゃって、ほんとにすみません(T_T))

チューブだらけの母は重病人であるにもかかわらず、その自覚がないようで、
息は切れているものの普通に会話もでき、
どこか途方に暮れたような困ったような顔をして、

それでもうれしそうに、わたしたちを迎えてくれました。

(不思議なことに、母が倒れる2日前から
わたしはうまく呼吸ができない状態が続いていて、
母のことも気になっていたのですが、
自分が病気になったんじゃないかと思って連絡できなかった。

彼女が入院した瞬間に楽になり、リハビリその他で母の心拍数が上がると
また自分が呼吸困難になるので、しばらくは参りました。
ダイレクトにシンクロしてしまっていたのでしょう。親子っておもしろい。)

実は夏休み前、労災申請の資料作りが佳境に入っていた頃から、
とうもろこしがクラスで切れて暴力をふるい、学校から呼び出しを受ける。
という事態が続いていましたが、

ついに、それまで彼を支えてくれていた野球部で、問題を起こしてしまった時、
わたしは絶体絶命的な気持ちになり、婚家に相談したのです。

すると、

「それは基本的にもんもくさんの責任だ。
こちらとしては警察沙汰になることも覚悟しているし、
彼にはそれだけのことが起きたと思う。
だから実際にことが起きたら、対応する」といわれたので

そうか。そこまで考えられるんだったら、もう、なんでもやってみよう。

と、ママ友のミンジェルパールちゃんのお誘いを受け、ネパール行を決めたのでした。

ネパールでとうもろこしは、世界を回る自転車旅人の西川さんに
一日行程のプチ自転車の旅に連れて行ってもらい、

辺境でボランティア活動をするドラ君に生まれて初めて胸襟を開き、
ディープで過激な話をするという体験をし
(ものすごいわくわくしたんだよ。と、あとでとうもろこしは言っていました。
誰かと話してそういう気持ちになったのは、初めてだった。と。)、

元赤軍派のRさんと、ポカラ上空遊覧の旅をして、
その飛行機がいかにハイジャックしやすいかというレクチャーを受けるなど

大変にショッキングな経験を積み重ねて、結果的に落ち着いたのですが
(その後、学校からの呼び出しは受けていません。
「ぼくは普通に生きるよ」と言っていた・笑。)

黙って二週間もいなくなったことを知った婚家の両親が、
心配のあまり私の実家に電話をかけたために、
両家の間で大変なことになっていたのです。

(夫の死後間もないのに、観光旅行にでかけた。と思われたらしい。
本人の意志にはかかわりなく、親の一存で拉致られるように出国し、異国で、見知らぬ人の間にほぼ放置されたとうもろこしには、大変気の毒なような気もしますが、
まあ、一般的には、そういうものなのかもしれないな。)

しかしその義母の怒りの電話の直後から、母の心拍数が上りはじめ、
今回病に倒れたことで、
もし、ここで母に万一のことがあったら、自分の責任であるにもかかわらず、
わたしは生涯婚家をゆるすことができなくなるかもしれない。

それはとうもろこしにとって、恐ろしく不幸なことであるに違いない。

なんとしても、早いうちに関係を修復しなくっちゃ。

と、母の状態を確認して安堵した直後に婚家を突撃し、

夫の死後、はじめて、義母と二人で話をする機会を作っていただきました。

何を言われても、わたしは聞こう。

と決めて二人で会いましたが、事前に覚悟したほど責められることもなく

(わたしがじかに話を聞くことで、義母の気持ちがすこしでも楽になればいいと思ったのですが、
実際会って考えたら、それでどうにかなるようなものではないことが、
よくわかりました。
誰かを責めても、楽にはならないのです。
楽になればほんとにいいのに。)

今までは義母には過酷すぎて話をすることもできなかった、労災申請について、
直接説明することができ、

事の次第を知って、婚家にものすごく腹を立てていたとうもろこしが、

ーそもそも関係が薄くなっていた婚家に不在がばれたのは、
彼が、送ってもらった「鉄道FAN」のお礼のメールを送るのを忘れたからなので、

いわゆる逆切れ?なのだと思いますが・笑ー

帰国後はじめて一瞬でもおじいちゃん、おばあちゃんに会うことができたので、

本当に、よかったと思います。

自分のとった行動に間違いはないという確信もあるし、
肉体があるので、やろうと思えばなんでもできる。とはいうものの、

まあしかし、自分自身の感情やその他の全部を、
立ちどころにすっきりさわやか思い通りに動かせるわけでもなく、

いろんなところに負荷がかかったらしく、わたしは大変疲れました。

そんなことがあって東京から帰ってきた翌々日、
友達と「スウィッチ」の講演会を聞いている最中に
労働基準監督署から連絡がありました。

なんと、労災認定が下りたのです。

パワハラではなく、過重労働の恣意的強要による認定とのことでした。

一生懸命資料は作ったものの、具体的な根拠には乏しく、
実際に認定をとるのは難しい、と言われていたこともあって、

その速さと結果に、驚きました。

労基署に説明を聞きにゆき、自宅に書類が届き、
一律の大変微妙な金額の保険金が下りたのを目にして、
何とも複雑な感慨にとらわれ

その日は一日中、発作を起こしたように泣いていました。

なんで泣いているのかよくわからない。

嬉しいと空しい、悲しいとありがたいの、
両方の感情を同時に持つことによって、その効果が相殺され、
ただ情緒的な高まりだけが置き去りにされたような、
宙ぶらりんの気持ち。

何かを目指して一生懸命梯子を上っていたら、
本人の知らないうちに到達地に着いていて
気が付くと梯子は外され、
あたりには全然別の風景が広がっている。みたいな。

もっと時間がかかるとも、少しは達成感があるとも思っていたので、

自分がそんな反応をおこすとは、思いもしませんでした。

あるいは、いみじくもとうもろこしが言ったように、
悲しみに向き合わないようにするために、
敢えて大変なことをしていたののかもしれない。

いずれにせよ感情は感情なので、とっぷりと味わい、納得して次に進みたいと思います。

自分でやっててなんですが、人間って、奥深いなあ。(なんのこっちゃ)
夫が亡くなったときもそうだったのかな。
抑えていた感情が爆発した時、誰より本人が、一番驚いたのかも。

学校から帰ってきたとうもろこしに

「どうも気が抜けちゃったらしく、今日の母さんは、変なんだよ。泣いてばかりいる。」
と話すと

「ふーん。なら、泣きたいだけ泣けばいいじゃん。」
とうもろこしは、かすかに首をかしげながら

「でもリビングで泣かれると、若干引くから、自分の部屋で泣いて」

といい、その間のとり方が、何ともおかしくて、笑ってしまった。

それで婚家に、結果を伝える参考にするために
担当弁護士さんのHPを読んでいたら

わたしたちのような遺族は、自身が痛みを背負っているにもかかわらず、
周囲の人たちの心無い言動に傷つく場合が多い。
ということが書かれていました。

義母の、人から、いろんなことを言われた。
という言葉を、それで思い出しました。

わたしには、そもそも人にどう見られるかを気にする。
というメンタリティがないうえに、家族、親戚はもちろんのこと、
いろんな形で支えてくれる仲間がたくさんいて

かつ、夫の周囲も同じ研究者のみなさんばかりであり、
常に状況に理解のある方々に囲まれていたために、
自身が直接、誰かから厳しい言動を受けるということはなかったのですが、

ほかの人たちは、大変だったのかもしれない。

自分も辛いのに、その上また責任を問われ、批難されるのは、どんなにかきついことだろう。
というところに、初めて思い至りました。

同じことがあっても、その後の経過が違ってくるのは、本人の受け取り方の問題もあるけど、
そのひとがどんなコミュニティに属しているかにも、よるんだろうなあ。

そういう意味で、夫の死、という一つの出来事でも、
それが引き起こす波紋の大きさや衝撃は、
同じ家族の中でもそれぞれ、異なったものであるはずで、

人生は、結構シビアです。

だからこそ、どんなふうに他者にコミットしてゆくか。ということが、
本当に大事なのかもしれない。

労働基準監督署に対する申し立ての際に

「大学が独立法人化されてから、夫や、大学関係者の方々の業務がさらに厳しくなったように思うので、
もしかしたらこれは、個々人の責任というより、
むしろ政治の問題なのかもしれない、と思うようになりました。

結果的にはパワハラでの労災申請になりましたが、
それは単に組織のひずみが引き起こした現象の一つにすぎなくて、

それが中間管理職的な最も負担のかかる場所に集中し、
更に震災の影響で、個人のレベルでは、もうどうしようもないほどに
大きくなってしまったのかもしれない。

今回は夫が大きな重荷を背負うことになったけれども、組織のあり方に問題がある以上、
立場が違えば、夫も上の人たちと同じような対応をし、
別の人が犠牲になったような気がして、そこがなんともやりきれないのです。」

というお話をさせていただいたのですが

結果説明の際、担当官の方は
立場上政治の問題には踏み込めないのですが、と断ったうえで、

「労災の仕組みは普通の会社員を想定したものなので、
そのすべてを研究者の方に当てはめることはできませんでした。

大学の先生は、労働者というより、個人事業主に近い存在なのかもしれません。

それでも、雇用者と被雇用者という関係はあるわけで、
裁量制の職域であっても、組織としてどこまで仕事をさせるかという
最低の枠組みは必要だと思いました。

そういう意味で、この事例は、ご主人だけの個人的な問題には留まらない。
と判断しました。」

という回答を、くださいました。

どうやら、わたしの、過労死防止基本法の制定を目指す署名運動の記事も読んでくださっているらしく

「労働法の趣旨は、働く人の権利を守る。ということなので、
奥さんの主張に近いものがあると思いました。
まだそれが社会的にきちんと浸透していないようなので、
もっといろいろな方に、知っていただきたいと思います。」
と。

法律は全能ではないけど、それを運用するなかにはまぎれもなく人間がいて
冷たい仕組みも、向かい方によっては血の通ったものになりうる。
ということが、

すごくうれしかった。

システムには限界があるけど、人間には、たぶん限界はない。

なにがあっても、どんなふうにでも、きっとわたしたちは、変わっていくことができるのでしょう。

すごい。

みなさんとのかかわりや、過労死防止基本法の署名運動も、
ネパール行きや、母の病気に関連した出来事も、

見えないところで全部つながっていて、

一見相互には全然関係ないように見えて、
実はどれが欠けても、今には至らなかったように思えるのです。

バタフライ効果っていうのかなあ。

よくわからないけど、そんなふうに、
わたしたちは現実を作っているような気がする。

それはいいのですが、さて。

これからどうしよう?

しばらくトホホな感じが続きそうです(笑)

なによりもわが愛する母に、元気になってもらわなくっちゃ♪
by terasumonnmoku | 2012-10-07 13:50 | Comments(0)

スピリチュアルアーティスト/セラピスト/時々社会活動 前過労死等防止対策推進委員。勝手に自死防止活動推進中。スピリチュアルとリアルをアートで融合し、人の繋がりの力で新しい世界の創造を目指しています。

by terasumonnmoku