2013年 02月 04日
息子と野田正彰さんと玄秀盛さんのこと。
というRADWIMPSの詩がすごい
と感動する息子とうもろこし一号(14歳)に
「そういう時もあるよね。父さんが死んで三カ月くらいは、ごはんの味がしなかった」と正直に感想をいうと
「あの頃、母さん自分を押さえつけていたからね。むちゃくちゃ無理してたから。」
と答が返ってきた。
「とうもろこしを抱えて、どうしていいかわからなかったんだよ。
いまもどうしていいかわからないけど。」
「おれはお荷物だからね」
「荷物じゃないよ。もっと大事なものだよ」
「荷物でしょ」
「・・・・・うん。母として、君のことを何とかしないといけないと思っていた気がする。
でも、君には二本の立派な足が生えているからね。」
「足が生えてるって、なんだよ。やな言い方だなあ」
「その足で、自分の力で、、どこへでも立派に歩いて行けると思うことにした。」
「思うことにした?」(笑・見逃しません)
「いや、思うよ」(笑)
そして話題は、わたしがいかに勝手な人間か、ということに移り
「それはそうかもしれないが重要なポイントはちゃんと押さえているし、
勝手だからといって、人に嫌われたことはない。」
と演説すると(よくわからないけど、たぶん・笑)
「でも、ほっといてくれるのは、すごくいいよ」
と彼は言い、満足そうに家じゅうに広げたNゲージ(電車)の模型を発進させた。
そして、机を拭こうと彼のノートを持ち上げたら
今度は裏に大きく
「虫」
という字が書かれていた。
(その前までは、もっているすべてのノートの裏に「生きる意味」と書いてあったが、駆け込み寺の新宿ライブに参加したあたりから、虫、になった。本人によると、「虫は殺しても死なない気がするから」)
わかりやすい(笑)。
夫が亡くなって、一番気がかりだったのが息子のことだった。
それで大量に本(「ぼくの父さんは自殺した」「自殺で残された人のサポートガイド」「自殺って言えなかった」などと、グリーフケア関連)を読み、
ヒーリング、ネパール旅行など、本人に嫌がられながらも思いつく限りのことをやり、
実際にお会いすることができた、ありとあらゆる方に相談した。
具体的に参考になったのが、
ゴードン博士の提唱した、カウンセリングの技法を日常の人間関係に応用する「親業」の考え方と、
精神科医でノンフィクション作家の野田正彰さん
(喪の途上にてー大事故遺族の悲哀の研究ーで講談社ノンフィクション賞受賞)と、
日本駆け込み寺の玄秀盛代表にいただいた、貴重な言葉だった。
親業で、当初は団子のように縺れきっていた自分自身の葛藤と
息子の問題を、分けて整理する方法を学び、
野田先生にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、存在しない。
とする考え方もあることを教わった。
本を読んだり、同じ立場の子供たちのことを知ってわたしが恐れたのは、
大きな精神的衝撃が、彼の将来にわたって影響を及ぼす可能性だった。
野田先生にお会いした時は夫の死から半年たっておらず、
とうもろこしにも抑鬱的な反応があり、
「楽しいという感覚がなくなってしまった」状態だったので
将来にわたって影響が残ったらほんとうにどうしよう。
という不安があったのだ。
でも、先生に突撃して事情を説明し、将来にわたって後遺症が残る可能性を伺い、
親としてどうあればいいのかを尋ねたところ、
「戦争被害者のような、もっとひどい状況の人でも、立ち直れる。
ひとには、自分で自分の傷を癒す、すばらしい回復力が備わっているんです。
だからそれが働くように、彼の混乱し、矛盾する気持ちを、そのまま、受けとめてあげてください。
それが、回復の大きな力になります。」
と、言われた。
(よく考えればこれはヒーリングの考え方そのものだが、ことが息子!の精神的な傷になるともう、居てもたってもいられなかったんだと思う。)
精神科医として東ヨーロッパや中国、ベトナムにおける戦争加害者、戦争被害者の精神病理学的研究をされている野田先生の言葉は、鋼のような強さを持っていた。
偶然だが玄代表も、基本的にはPTSDはない。という考え方だそうで
同じように突撃して「親としてどうしたらいいか?」と尋ねたところ
「大変やな。」とつぶやかれた後で
「息子の中には、三つくらいの自分がおるような感じやと思うわ。
それをな。息子は自分で整理せなあかん。
あんたは、黙ってみてるしかない。
でもな。全部終わったことや。これからや。
ゆるゆる、やっていったらええ。
いっぺん息子連れてきや。待ってるで」
という答えが返ってきた。
結局のところ、何一つ解決したわけではない。
でも、すごくうれしかった。
わたしの問いかけは、すごく重かったのに、玄代表はその重さをそのまま受け止めて、
返してくださったのだ。
そんなひとに会ったのは、初めてだった。
(問題がハード過ぎるせいか、この相談を持ちかけると、ほとんどの専門家の方が受け止めきれずに、のけ反りながら斜め下でキャッチする。まあ、感覚的に・笑)
後日とうもろこしに、玄代表の話をしたら、「いいねえ~」と言って、すごく喜んでいた♪
最近思うのが、わたしたちも、戦争で今まさに傷ついている人も、寒さに凍え、飢えて死にかけているような人も、その生きる世界は、見た目ほど違わないのではないか。
ということである。
わたしたちは、明日地雷を踏む可能性は薄いかもしれないが
心にはたくさんの地雷を抱えている。
だから夫のように、ある日突然死んでしまったりするんだろう。
同様、どんなに悲惨そうに見える戦地の人たちの毎日にも、あたたかい思いやりや、子供たちの笑顔ややさしさが、きっとある。
だから、どんなにひどい傷があっても、生きていくことができるんだろう。
それぞれの置かれた場所で、みんなよりよい明日を夢見たり、絶望したりしながら生きている。
そのことが、とてつもなく尊いように思う。
明日が来ても来なくても、夢を見ても絶望しても、いずれ一生懸命生きていることには違いない。
自分も含めた(笑)その一生懸命さに、泣けるのだ。
足がない人は車いすで、
生えている人はその立派な二本の足で
どこまでもみんなで一緒に、歩いて行けたらいいなあ。
冷静に考えると、こういう痛々しい日記をアップするのもどうかと思うが
それを抜きにして人とつながるということがもうできないので
読んでくれる人がいるうちは書きつづけようと、再度決意しました(笑)
そういう自分が、なんとなくおかしい(^○^)
そしてそんなわたしに、あきらめず関わってくださる皆様に
深く深く感謝する、この頃なのでした。
私の今世の「お題」は、人に話せないことは
どうやって解決するのか?で、まだその答えは
見つけていませんが、ある方にこんな事を言われました。
意味のよく分からないメチャメチャな言葉を発する
ことで、意識できていない抑圧したエネルギーを
解放していくことができます。
潜んでいるものに気づくこともできます。
そして、抑圧されたエネルギーを溶かすのに
音や動きで出すこともできるし、
エネルギーを動かしていくこともできます
なるほど。。。、話さなくても、解決(もっと適切な
言葉があると思います)するのかと、何でもアリなんだろうなと
感じました。
話せないと言っても、きっと海外の方になら話せると思うので
それ程、深刻な事ではないのかも知れませんが、相手を巻き込む
かも知れないと思うと(それは理由のひとつに過ぎないけれど)、
やはり考えてしまいます。
でもtamacoさんの日記は、本当に参考になりました。^^
シェアして下さって、どうもありがとうございました。