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artandlove☆もんもく日記2

村井知事に面会しました。

25日、村井知事に面会していただいた。

19日のゆさみゆき県議とのエンパワーランチ会で突然この機会が決まり、
主旨に関しては紆余曲折があって、

公には「全国自死遺族連絡会」会員として
自死に対する「自殺→自死」の名称変更に対する要望を、世話人田中さんと伝える。

なかみは、知事に対する、
「過労死防止基本法」を支持する宮城県の2月議会での意見書の採択と
過労死問題について、次回正式に要望を行うので宜しくお願いします。
という段階を踏んだご挨拶。

という形に落ち着いた。

当初は、希望の会として、別立てで過労死についての要望を行う。ということだったので
言われるままにネットで検索して(!素人なので)要望書も作ったが、

過労死のことは、問題そのものが大きく、これを表だって要望すると
田中さんがほぼ一人で、6年かけて築き上げてきた自死の問題がぼやけてしまう。
というゆささんの判断で、このような形に。

考えてみれば、当然のことで、希望の会としても、わたし個人としても、みなさんから望める限りの最善の機会を頂いたのだと思う。心から、感謝している。

政治活動をしておもしろいなあといつも思うのは、自分の行動の意味が、その時にはわからない。ということ。

当事者って、そういうものなのかもしれない。

意味がわかってくるのは、終わってしばらくたった(報道を見たりした・笑)後からで、
なるほど。あれは、そういうことだったのか。と改めて思う。

規模は違うが、かつて生きていた歴史的なひとたちも、きっとその当座は、自分の行動がどんな意義を持って後世に伝わるかなんて、全然わかっていなかったんだろうなあ。

現実って、なまなましいなあ。

わたしの行動についての評価は、自分が決めることではないと思うが
今回の件に関して、個人的な収穫が二つあった。

一つは、過労死に関する要望書をつくるにあたって
さあ書きましょう、と思った時に、突然、死の直前、夫が研究費の報告書を書こうとして果たせず、パソコンを開いては閉じ、開いては閉じて苦しんでいた様子が、まざまざとフラッシュバックしたこと。

お願いだから今は仕事しないで、と言ったのに
「これは簡単な書類だからだいじょうぶ」と言いながらなんどもなんどもやろうとしてはぐったりと、自分自身に絶望していた姿が
書こうとするたびに、つい昨日のことのように蘇り、全身が震えるのだ。

そんなリアルな恐怖が自分の中に入っていたなんて、思いもしなかった。

PCを立ち上げても作業ができず、そのまま何時間も固まって
仕方がないので、ローソンでプレミアムロールケーキを買ってきたり、
わたしが精神的に師事している大津先生の「人間は、愛そのものからできているんだよ」というCDを聴いたり
TREをやったりして、なんとか立ち直り、
取り掛かってみると、あれほど苦労したのに作業そのものは1時間で済んだ。

たぶん、この過去の傷も、今回のことがなければ表面化することなく、
じわじわと、わたしや、息子の生活に影を落としていったことだろう。
要望書をつくることで、少なくともこの部分はクリアできたんだと思う。

この書類を提出することはなかったが、結果的にすごいリハビリだった気がする。

もうひとつは自死遺族として、活動する。ということ。

過労死問題に取り組むことのなかには、当然その中に夫が自死した。ということも含まれるのだが
過労死全体からみると自死は一部分であり、たぶんそこに、微妙な逃げがあったのだろう。

自死遺族である。ことを前面に出して公に活動することは
わたし個人の自尊感情をはなはだしく傷つけるのだ。

そこをちゃんと見ないといけないよ。ということを
今回のことは教えてくれた。

人間の死亡率は今のところ100パーセントで、どんなひともそこを免れることはできない。
自死・殺というのは、単にひとがどうやって死んだかを説明する言葉であり
事実として確かなことは、夫が死んだ。
というただそれだけ。(それ自体、受け入れ難いことだが)

そこに更に重くネガティブな意味を付けているのは、誰でもなく自分なのだということを
わたしはちゃんと受け止めたい。

正直言ってそれをやろうとすると、なんだか血まみれな感じがする。
そう思うのは、自分の自尊感情が、「こうあるべき」という表面的な思い込みに支えられているからで
ひとはたぶん、そんなものよりも、はるかに輝かしい存在なのだ。

彼が最後にどんな方法で死んだにせよ、その人生は豊かで、愛に満ちたものだった。
彼が、わたしや息子を含めた多くの人に、希望を与えてくれたことには間違いのない事実なのだ。

その人生から苦悩を選ぶか、幸福を選ぶかは、
他者が決めるのではなく、わたしの責任である。

強烈な苦しみは、常にその当事者に、アイデンティティの再構築を迫るんだろうなあ。
でも少なくとも今、わたしは自分の中の「ブラディ・メアリー」を
なんだか愛おしく感じる。
だから少しずつ、少しずつ、玉ねぎの薄皮を剥ぐように、進んではいるのだと思う。

こういう悲痛な部分は、同じ自死遺族にしかわからないと思うし、わかってもらわないほうがいい。
そして自死遺族であっても、そこが見られないひとがほとんどであることを嘆くつもりもない。

ただ、自分は、可能な限りちゃんと受け止めていきたい。
「たくさん泣ける人は、たくさん笑うことができる。」
という精神科医の野田先生の言葉を思い出す。

これからもたくさん泣いて、たくさん笑っていこう。

心を全開にして。

泣くときは一人で泣くが、笑う時にはぜひ一緒に!
とうもろこしやみなさんとともに。

あなたがどこで、なにをしていたとしても、あるいはなにもしていなかったとしても
それが全てということは絶対にない。
by terasumonnmoku | 2013-12-27 10:11 | Comments(0)

スピリチュアルアーティスト/セラピスト/時々社会活動 前過労死等防止対策推進委員。勝手に自死防止活動推進中。スピリチュアルとリアルをアートで融合し、人の繋がりの力で新しい世界の創造を目指しています。

by terasumonnmoku