2015年 07月 26日
過去生について(オカルト決着③)
もんもくちゃんは、過去生についてどう考えているのか?
という、スルドイ質問をいただきました。
ので、追記の追記をここに書きます(。・m・)
実のところ、わたし自身は
時間も空間もほんとうは無い。
と思っていて
だから、書いていることと矛盾しているようですが、輪廻もないと思っています。
時間や空間というものを仮に設定すると、
過去世というものが今この瞬間に、しかも瞬時に現れる。
当然、現在が変化すれば
そのひとの過去世も自動的に変化します。
それは長大な絵巻物のような幻想です。
前に過去生を見る人を傍から見たときは、
頭の上に、時間というジャバラ状の扇子っぽいもの広げて眺めているような感じで、
ちょっとおもしろかった。
わたしの場合はそういうものではなく、
今起こっている、内面の葛藤を説明するために
便利なので、
仮に時間があると仮定した上で
便宜上過去生と言っているだけ。
実際に普遍的な過去世というものがあるとは思っていません。
自分という存在が、大変バーチャルなものであるように
(それにしてもよくできた幻想ですが)
自分自身の経験も、人生の中で起きたことも
すべて恣意的に解釈変更が可能な、
バーチャルなものでしかない。
でも、それぞれの人生を生きている瞬間に得た感動や、
誰かとの間で通じ合った思いだけは、普遍的なもので
わたしがこの人生を終え、宇宙がわたしというキャラクターを失っても、
永遠に残り続けると思っている。
わたしにとって、夫がそうであるように、すべての亡くなった人も
失われたのではなく、ともに生き続ける。
その辺になると、言葉ではなかなか伝えるのがムズカシイ世界です(ृ ु*´-∀-`)ु
わかりやすく言うと、今この瞬間にすべてがある。ってかんじかな。
きのうの子どもたちの笑顔が眩しくて、1日たっても、まだ泣きそうです。
ただ、その笑顔を見ていたい。
難しく考えることなく、それだけでいいんだと思う。
子どもたちの置かれている状況がどんなにハードでも、
きのう泣いても、今日はまた笑える。
そんなつながりを、いっぱいつくって行きたい☆
希望の会の桂島での海水浴を通して、そんなことを思いました(^_^)