2015年 10月 18日
いのちのつながり。(宇和島伊達家の名宝展)
気持ちの良い秋の日でしたね♪゜・*:.。. .。.:*・♪
わたしはさすがに疲れ
今日は一日休養日でしたー。
しあわせ。
先週は週の前半に両親が来てくれて大賑わい。
とっても楽しかったんだけど
楽しくても体は疲れる・笑。
特に両親ふたりは高齢で
気持ちの準備はばっちりなのに、体力がついてこず
とうもろこしはとうもろこしで
早起して、学校に行ったりという日々の生活が有り
バランスを取るのが難しい。
お散歩好きな父は、油断しているとすぐに行方不明になるし
(笑・そのあたり恐ろしい程わたしに似てます)
それを心配して、母はカリカリするし
まるで漫画みたい〜(*ΦωΦ*)
一緒に住んだら、大変だろうなあ!
家族って、ほんと尽きせぬおもしろさがありますね( *˘ᵌ˘)♪
後半は、本業のセラピストとして2時間五万の本気セッションもやったし
(値段も値段だし、他の追随を許さないほど深堀りするので、本気で生き方を変えたいという覚悟を持った方だけ申し込んでください。
お客様の声的には、わたしの声が自分の中から響いてくるような気持ちになるらしいです)
労働関係の相談(こちらは無料)やら、まあいろいろ。
昨日は希望の会の前に、友人のかなちゃんと
仙台博物館に行きました。
「宇和島伊達家の名宝」展を見たのですが
伊達政宗の直筆の手紙が、驚くほど繊細な筆致で書かれていて
びっくりしました。
あんなに繊細な字を書く人が
大胆な政治や町づくりをし、
どう考えても邪魔でしかない
変な三日月のくっついた兜をかぶっていたなんて
にわかには信じ難い。
でもよく考えると
極端なことを成立させるためには、段階を踏んでいくことが必要で
そのためには、繊細さというか、ある種の気の小ささ?が必要なのかもしれない。
同じ伊達政宗直筆の手紙でも
自分の子供たちに当てたものになると
とたんに愛情あふれる、まるみを帯びた字体になるのも
見ていてとても微笑ましかったです(๑'ᴗ'๑)
それにしても、宇和島藩に輿入れしたお姫様たちのお道具は
すばらしかった。
時を経ても、それを使っていたお姫様の人となりや
背景がお道具から透けて見えるのですが
まわりのひとから愛され、おそらくご本人も愛に満ちた人の持ち物は艶めいていて
輝きを失わないのです。
肉体は失われ、遥かな時が経過したあとも、
いろんなふうに、その人の存在は残っていく。
形を変えたいのちのつながりを、改めて感じています。