大津先生の真理で特に重要な教えの一つに
「善悪はない」
「愛のみの実在」というのがあります。
善悪を付けること(ジャッジすること)で人は汚れ(苦しみや敵意という破壊のエネルギー)を創りだす。
善悪とは、その人の置かれた立場によって変わってくるものであり、
どんなひともその本質は愛でしかない。
ただ、みんなが良い状態で生きていくためには
基本的なルールを守ることが必要で
人や自分に害を加えたり、物を盗んだりは
してはいけない。
だから、善悪はない。
という教えは社会における基本的なルールをわきまえた人が
学ぶ考え方です。
ルールはわかっていても
変なことをしてしまうのが人間で
自らそれを許し、本来の自分に戻っていくためにも
自分の本質が「愛そのもの」であると理解する必要がある。
前述した善悪はそのひとの「おかれた立場で変わる」ということを
真理的には「多次元」と言ったりします。
自分がどこに立ち、何を見るかで世界はまるで違ってしまう。
でもなかには、「善悪を付ける」ことに「善悪を付ける」場合もある。
そのまま、ありのままの自分を受け入れる。
というのは一見いいようですが
そうすると、自分がどこを目指し、どうなりたいのかがわからなくなります。
二つの対立する概念にはさまれるという状況は
本来は、新たな道を創造するために想起するもので
それ自体は善でも悪でもなく、
単なる<成長のきっかけ>に過ぎない。
大津流では、誕生日の数字でその人の人生のプログラムを読むというのがありますが
そのなかで2という数字を誕生日の末尾に持つ人は
この自分の中のジャッジに翻弄されやすい。
という傾向がある。
でもこの数字は、ポジティブに読むと「創造」であり
この数字を持つ人は
あらたな仕組みや、ビジネスを創造する能力にたけている場合が多い。
そのもの。だけだと方向性がなく
そこから次の地点に進むためには
意志の力が必要で
その意志をどう発揮するかを決めるのが
対立する二つの概念ー善悪を越えようとするところから生まれる第三の道であることが多い。
(多い、と書いたのは、愛が中心に定まると、こんなことに翻弄されなくても自然に道が拓けていくようにできているから。このことについては、後日改めて書きますね!)
善悪がないというと
悪がない。というところか先に入るようなのですが
善もない。というところが特に重要です。
自分のなかの善を捨てることで
はじめて見える地平がある。
そこに創造の女神がほほ笑んでいる。
女神のいない「そのもの」は、タオ(道教)で言うカオスに過ぎません。
その辺を特に注意して、
二元論からの脱却を図るように気を付けてね。
そして愛そのもののわたし自身を
ともに生きていきましょう!