東京の弁護士の先生方による、
自死及び自死遺族の直面する法律問題についての講義を、受けてきました。
多額の損害賠償が絡むケースも多く、
基本的な考え方を勉強中です。
「心理的瑕疵」を根拠にした、
自死のあった賃貸物件の
賃貸料の損害賠償が有名で、
中にはマンション丸ごと一棟分の
保証を、遺族が請求される場合もあるそう。
(相場は実際に借りていた部屋のみ。2年分の家賃と、場合によってはリフォーム代だそうですが、それでもかなりの額です)
心理的瑕疵って、
物理的な傷はないけど気持ち悪い。
という、日本独特の考え方で、
海外にはこうした、形のない損害に対する保証を遺族に請求する。
というケースは、
自死の場合でもないといいます。
心理的瑕疵ってあの「どんと祭」の
プリミティブさに近い概念かもしれませんね。
普段は見えないけど、
日常の奥底に隠れ、
日常を支配する、中途半端な
「野生の思考」。
でも、ヒンズー教で破壊と創造の女神が同一人物だったり、マヤや、ヘラクレイトスの時代のディオニュソス祭儀で、生のために死を捧げる的なことをしきりにやっていたり、
古代人にとっては、死と再生、
破壊と創造はひとつながりであって、
死は決して否定されるようなものではなかったのに、日本ではなぜ、そしていつから、死だけが「穢れ」になっちゃったのでしょう?
日本の神話でも、神の遺体がちぎれ、飛び散ったところからまた神が生まれたり、イザナギが黄泉の国の穢れを祓ったところから、アマテラスや月読尊、スサノオが生まれたり、な話があったので、ずっとそうだったわけではない。
一つ言えるのは、
死を尊重しない社会には充実した
生も存在しないということ。
生と死はコインの裏表で、
どちらが欠けてもわたしたちの
「人生」は成立しない。
それにしてもなんですね。
こういうことは、
わたしにとっては相談も受けるし、
否応なく直面する現実ですが、
みんなには関係ない方がいいよね。
関係なくあれるように、
自分自身や、当たり前の、
だけど奇跡のように尊い毎日を、
どうか大切にしてね☆
どんなに貴重でも
すべては「今ここ」にしか
存在しない。
形あるものは、
必ずいつか、失われてしまうから。
だからこそ、春の終わりとともに散る桜が
例えようもなく美しいように、
わたしたちの生は、
きらきらといつも輝いているのです^_^