福島ラーニングジャーニー、
最終日は
福島県田村市
蓮笑庵
にお邪魔した。
ここは画家 渡辺俊明氏の
自宅兼アトリエだった場所。
ご主人亡き今は、奥様のじんこさんが取り仕切り、山の自然と、俊明氏の素晴らしい作品たちとの織りなすえもいわれぬハーモニーで、訪れるたくさんの人々を癒している。
どこを見ても美しい。
美がこれほど、力を与えるものとは
知らなかった。
ファシリテーターのボブさんの指示で、
それぞれが蓮笑庵の自分の好きな場所で
1時間ひとりの時間を持つ。
わたしはここ。
俊明氏の位牌のあるお部屋でくつろぐ。
呼ばれている気がした。
俊明氏に、
全力で癒されて良いんだよ。
と言われているみたい。
美しさは、
受け取るだけで良い。
美に理由は要らない。
いろんな人のいろんな思いが
蓮笑庵の創り出す美しさの中に
ゆっくりと
吸収されていくようだった。
あるものはあるままに。
やがて自然が、形を変えていくまで。
その後でみんなで、
思いをシェアする時間を持つ。
長崎から来たサウルという男の子が、
原爆が落ちたその場所で
生きていこうと思った人がいた。
だから僕は長崎で生まれ、育った。
そして今、こうして福島に来ている。
とても意味のあることだと思う。
その言葉は、
蓮笑庵のじんこさんや、
今回福島側としてアテンドしてくれた
ほんださんの心を打ち
響いていたようだった。
グループに別れての対話の時間の中で、
ほんださんはこう言った。
「もっとひどいことになっていても、不思議ではなかった。事故がこの程度で済んだのは、奇跡だと思う」
福島の人にしか言えない
言葉の中に、
みんなを思う愛があふれている。
ひとりの言葉が、
他の誰かの世界を深くする。
シェアの時間はそんなことの連続。
みんなでいるって
すごいことだ。
わたしは日常的にハードな社会活動と、
スピリチュアル系のセラピストとしての
ロマンチックな活動の、
両方を行なっている。
今回のラーニングジャーニーは、
ちょうどその中間くらい。
向き合う課題は社会問題だけど、
対峙の仕方は
ダイアログによって深めていく、
という、抽象的なものだ。
現実の政治の場で、
不可能を可能にしようと
必死になって運動していた時、
そう言う手法は非現実的で、
どこか子どもの遊びのように
見えた(ごめんなさい。。。。)
でも挫折を知った今
大きな変化って、
人間同士の
深い対話によってしか
生まれて来ないんじゃないか。
と、改めて考えるようになった。
みんなで作っている社会なのだから
当たり前だ。
やって見る前は、
無意識ではあったけど
たぶんどこかで
自分1人が必死に頑張れば
どんなに大きな問題も
多少は解決できる。などと
僭越なことを
思ってたんだろうな。
ご飯も喉を通らないほどの
プレッシャーの中
必死で頑張った結果わたしが知ったのは
哀れなほど無力でちっぽけな
自分の姿だった。
だけど自分のちっぽけさを知ったことは
なぜかわたしを自由にした。
ちっぽけでいい。
ちっぽけがいい。
ちっぽけなわたしが
ちっぽけなあなたと
ともに歩いて行く。
同じ目的に向かって
深まりながら響いていくことで、
わたしたちは真に偉大な存在になる。
そこから、
変化がはじまるのだ。
わたしは蓮笑庵が大好きになり
(ここを訪れてファンにならないひと
はいないだろう)
最後にボブさん、じんこさんと3人で
スリーショットを撮ってもらった♪
なんだか変だけど
超自慢♡
ご一緒してくださったみなさん。
ほんとうにほんとうに
ありがとうございました。
今後ともぜひ
またよろしくお願いいたします(^_^)
すばらしい旅の終わりに。
みんなへの愛を込めて。
蓮笑庵についてはこちら
福島ラーニングジャーニー応援団
説明が書いてあります^_^