うらやましい
という感情が
わからなかった。
わたしは極端なエンパスで
人との境界線が薄い。
親指を羨ましがる
小指がいないのと同様、
自分のことは
うらやましくならない。
(だからと言って、ネガティブな感情
全般がない、というわけではない。残念なことに!)
なのに、昨年末
経験してしまった( ̄O ̄;)
はじめての、はっきりした
うらやましい
という感情を!
どどーん。
驚いた。
自分がその人(徳ちゃんだけどね・笑)
でないことが不満で、
いろんなことに納得できない。
賞賛的な周りの人の反応を見るにつけ
ぞわぞわと劣等感!!が
掻き立てられる@(・●・)@
ナンナンダ?
荒くて痛い、砂の嵐みたいな波動が
自分からダダ漏れていくのだ。
やだすぎる!
わたしは39.6分の高熱を出し、
寝込んでしまった。
いつもながら、極端な話である。
うらやましい、とか妬ましい、
という感情は
できるのにやらない、
自分のやりたい事を
既にやってる人に対して
持つものだそうだ。
となると、やりたいことを
やればいいのか!
そう結論すると、わたしは
病み上がりの身体を引きずって
突如24時間、屋久島ひとり旅を決行した。
(コトの種類が違う気がするが、気にしない)
これがゾクゾクするほど
楽しかった。
夢中で遊びまわり、
気づくと
うらやましい、
が、わたしの中からすっかり消えて
無くなっていた。
徳ちゃんの役割を果たすのは
ものすごく大変だ。
一つ一つの作業を思うだけで、
気が遠くなる。
徳ちゃんがみんなから得ている
信頼や、賞賛は、
その大変で膨大な
仕事の結果に過ぎない。
代わりはできないし
仮にできたとしても、やりたくない。
わたしはわたしの役割をしている方が
ずっと楽しいし、みんなの役に立つ。
他のみんなも同じだろう。
それに信頼とか賞賛なら
わたしだって充分持ってる(^_^)
結構みんなから愛されてるし、
ま、怖がられているってのもあるけど・笑
(あたりまえのことだが、こうした承認欲求は、過労死防止活動では立ち上がらない。過労死防止活動はわたしにとって、なにかの補完作用なんだと思う)
後日
徳ちゃんに「うらやましい」が
わかった話をした。
すると、
「よかったね。
それ、みんなをサポートするのに
必要だもん。
ほんとよかったよ!」
と、満面の笑顔で、元気よく、
言われました・笑
ね?
うらやましい、
なんて思ってないで
あなたも生きてみようよ!
カラダとココロをふるわせて
自分自身のために(^_^)
羨望の力を
自分を生きる
パワーに変えるのだ!