手を動かすとボケないと言う話を
聞いたことがある。
指を使うと脳が刺激される。
のせいだかどうだかわからないが
ピアノの練習をすると
やけにいろんなことを
考えるのである。
考えるというか、感じる。
で、練習の時に限って
モヤモヤが大量に出てくる。
わたしの場合、自分で作っているものより
受信している方が多い。
大概は日頃無意識に遮断している
誰かの感情である。
誰かの、だけど自分の中にゼロではない。
感じるということは、共鳴しているということだから。
人のものでもネガティヴな感情は重い。
めんどくさいので
シールドを張って
きたる感情を遮断するが
どうも効力を
1日限りの設定にしていたらしく、
昨日に引き続き今日もまた、
同じひとから
同じ感情がやってきた。
いくら不快でも
これは遮断している場合ではない。
なぜならその送り手は
父の介護に奮闘中の
わが母だったからである。
ここはひとつ、
波動を変換して返す。
と良いかもしれない。
と考え
やってみた。
その感情を受け入れ
ぎゅっと抱きしめ
(もちろん修辞的に)大丈夫だよと囁き
光を送るのだ。
すると
すうっとそのモヤモヤは
温かみに変わり、
ダイレクトに母のチカラになって戻っていった。
シールドを貼るより早い。
そして、ずっと効果がある。
波動を変換するって
昔師匠に聞いたことがあったのだけど
自分でやったことはなかった。
あまりに感じる範疇が広すぎて
対応不能だったのだ。
外から来た感情と
自分の感情を完全に混同していたからでもあるし、
大きくマイナスに触れた感情に暴露されると
自分を保っていられなくなるような
恐怖が、(かつては)あったから。
要は未熟だったのだ。
客観性がないと
結局誰の役にも(もちろん自分の役にも)立たない。
そして、先生に、
こういうことができる
と教わっていても、
使い方を体得するのは
自分でやるしかない。
それにしてもその母の感情の波動は
以前自分が出していて
さらに同じ過労自死遺族のひとからも
受けたことのある
馴染み深いものだった。
ようやくわかった。
あれは、
助けて、というやつだったのか
そうか。
わたしもつらくて
誰かに助けて欲しかったんだ。
ま、人はみんな、
それぞれの大変さを
自分でがんばるしかなくて
助けてもらおうとする気持ちを
諦めたところに
はじめて道がひらける。
しかし、やってる時は夢中で、
見境もなくなっているから、
そんなふうには
なかなか思えないんだよね。
*写真は、青山の岡本太郎記念館。例によって本文とは全く関係ありません^_^