2017年 10月 28日 ( 1 )

1800年代のはじめ、北斎の絵は、
シーボルトを通じてヨーロッパに渡った。

1826年にはすでに、オランダ人の注文を受け、絵を描いていたらしい。

当時の北斎は、日本では、
民衆を描く卑しい風俗絵師だった。
貴族階級に幅をきかせ、
隆盛を誇った狩野派とは異なり、
大勢の弟子をもちながら、
貧困の中で亡くなっている。

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その境遇が、幸いしたのかもしれない。


文筆家 永井荷風は「欧人の観たる葛飾北斎」という文章のなかで

北斎がことに、西洋人を魅了した理由について以下のように語っている。

>一は北斎の捉えた画材の範囲が彼等の眼からは、殆ど不思議に思われた程
広大無辺であつた事と、
一は北斎の極端なる写実の画風が
自ら古今を通ずる日本画の境域を
超越する処があつた事に
帰着せしめやうと思ふのである。ー


リアリティがあるから、
伝わった。という点は否めない。


キッチュな民族絵画ではなく
アートとして認識されるためには
その作品が
国境を超えた普遍性を獲得していることが
必要だからだ。

その驚くほどの写実性は、もし北斎が狩野派とともに日本画壇の真ん中にいて、正当な評価を受けていたら、育たなかった可能性が高い。


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おそらくキューレターさんがよいのだろう。
今回のこの展覧会は
コンセプトがめちゃめちゃおもしろかった!

北斎漫画の力士や布袋さんが、
ドガやロートレックにおいては
美しい踊り子たちに
形を変えるところ。

アール・ヌーヴォーで有名な
ガレのキノコ型のライトの模様に
北斎のトンボの図柄が
まんま大量に使われているところ。

下手をしたら、モリスの壁紙とか
あの辺の美術運動も
北斎から来ているんじゃないか。

印象派以前の西洋の絵画は
ギリシャ美術に由来することもあり、
シンメトリーで
決まりきった構図、きれいな形をしている。

間違っても人物があくびをしたり、
風景の真ん中に木があるようなものは
存在しなかった。

そういう、予定調和が飽きられ、新たな可能性が追求されはじめていた西洋アートの世界で、北斎がどれほどセンセーショナルに受け止められたか。

想像するだけで胸が高鳴る。

モネのジヴェルニーの家に飾られた北斎の絵から、「蓮」の連作が生まれる。
なんて考えただけで、倒れそう。

見たことのない、モネの芍薬の絵や、
北斎の富士山の絵にそっくりな
セザンヌが北斎並に描き続けた
サント・ヴィクトワール山の連作とか

1つの作品が、他の才能に呼応して、
別の偉大な作品を生み連鎖していく様子を
垣間見ているだけで
幸せな気持ちになる。

そしてそれぞれの作品を並べたとき、
オリジナル版の北斎の版画の
驚くほど伸びやかな描線が、
また引き立つのだ。

北斎は北斎であるだけですばらしい。
びっくりするような構図の風景画に
しびれているだけでも満足なのに、

そこからまた世界が
どんどん広がっていくなんて、
感動すぎる♡

いいものはいのちをもっている。
命は、増殖するのだ!


興奮のあまり、滅多に買わない図録を買って
じっくり探求してしまった!


北斎の人物の楽しそうなこと。
北斎の風景の
視点の持ち方のおもしろいこと。

ドローンもない時代に
よくこんなことが考えられたな!


生きているような波に、世界のみんなも心踊ったからこそ、沸き立つ波が巻きついたガラス器や、陶器を作ろうとしたのだろう。

それって、美しいかどうか?
問われると疑問だけど、
ついよく考えずに作ってしまう衝動とか、
そこから伝わる熱が、
なんとも言えず味わい深い。

すばらしい展覧会です♪
チャンスがあればぜひ見てね♡

北斎とジャポニズム展
国立せにて、1月28日まで!
詳細は以下



by terasumonnmoku | 2017-10-28 21:55 | アート | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


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