2018年 07月 18日 ( 1 )

言語化ってなんだろう?

「言語化」が、わからない。
という質問をたまに受ける。

言葉に出す。
言葉にする。

日本人なら日本語はできるはずなのに、
以外とわたしたちは
自分の内面を
言葉にして伝える習慣を持っていない。

<察する>文化という事もできるが、
どちらかというと、
教育の中にそういう
「訓練」が含まれていないのかもしれない。

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大概の場合言葉には
それを使う人の前提や、思い込みが
ふくまれている。

でも自分の語る言葉が
どんな概念や前提をもっているか
わかっている人は意外と少ない。

概念の多くは「正しさ」で作られていて
発言の前にジャッジがある
場合が多いけど、

なぜかみんな
それを「当然」と思っている。

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相手がどんな前提を持っていようと
良い関係性を作るために
あるいは自分が自分を生きていくために
相手の意に沿わないことを
伝えなければならないことが、
たまにある。


それを思うたび
わたしはハードボイルドの大家
ロバート・B・パーカーの
「初秋」という作品を思い出す。

こんな話だ。

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父親に虐待(ネグレクト系の)された少年を
主人公の私立探偵が引き取る。



少年の唯一の夢は
ダンサーになることだったが、
その父親は骨の髄までマッチョな男で
息子がダンサーになることが許せない。

夢を削がれた少年は気力なく
希望もなく、だらだらと生きている。

「父親が言うんだ。
男は、ダンスなどするものではない。
そんなものは、女のやることだ
お前は女なのか?」

と、少年が言うと

探偵は返す。

「ダンスをする男もいるし、
ダンスをしない女もいる。
男にも女にもいろんな個性があって、
いろんな生き方がある。
男はダンスをしない。というのは
極めて単純なきめつけだ。
それは頭で考える人間のすることではない」


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すべての言説は
「ポジション取り」で

立ち位置が違えば、
会話は成立しない。

でも特に親子など力関係がある場合

「わかってほしくて」

人は苦しむ。

伝わらなくても、
伝える努力は必要なので

わたしたちは言いにくい相手にも

「ダンサーになりたい」
と言わなくてはいけない。


自分のために。

お父さんにそれが
言えるようになるだけで
かなりの問題が
クリアになる。

言葉に出すことによって
はじめて、少年は
父親の助けなしでも
その道に進む可能性を
手にするのだ。

なぜ多くの人は、本当に伝えたいことが
伝えられず、
余計なことばかり言って、
どつぼにはまるのか。

そして自分が行動しないことを
「わかってくれない」
お父さんのせいにして、
苦しみ続けるのか?

それはおそらく
自分が自分のことを
理解していないから。

本当の自分につながっていないから
とも言える。





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生きること、そのものである真理は
自分に出会う旅のようなもの。

どうせなら、良い旅をと
すべての人に祈らずにはいられない。

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by terasumonnmoku | 2018-07-18 21:04 | Comments(0)

真理セラピスト・らくがきすと・即興ピアニスト+社会活動家(過労自死遺族/東北希望の会代表)幼少時より、生と様々な死から多くのことを学んできました。11年のセラピスト経験があり、仕事ではいのちのすばらしさについての、エナジーーワーク的なセッションやワークをしています。頭を現実的に使いながらメルヘンな世界を実現させていきたい。社会問題、スピリチュアルな仕事や宇宙のこと、日常について書いています。


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